福島原発事故から一年後の福島を視察

視察

調査のために制限区域内に入りました

未だに立ち入り制限のかかる福島原発の20キロ圏内に特別の許可を取得した上で、調査のために制限区域内に入りました。
まだまだ、放射線量が高い場所もあり短時間で街の状況、被害の大きさを確認して回りました。
事故から1年以上が経過しており、住民が誰もいないので、地震で崩壊した建物は手付かずのままなので、崩れたまま放置されています。
庭木の植物は雑草が生い茂り、時間の経過が感じられます。道には野良牛がウロつき、野生化したダチョウも走り回っていました。
一番ショックだったのは養豚場の囲いに入ったままの豚が逃げることも出来ずにミイラ化していた光景は悲惨で目を覆いたくなりました。
人の手が一年も町に入らないとこんなにも荒れるものかと考えさせられます。

立入制限区域内の火事場泥棒

今回の案内は地元の町議会議員に案内いただき、国会議員と一緒に訪問しています。案内いただいた方も被災して、家族ともに首都圏に避難しており、自宅に戻るのは地震以来だそうです。
この方もショックを受けていましたが、自宅が地震によって食器類が散乱しているのは逃げる前に確認していましたが、その後、自宅のガラスが割られて室内が物色されていました。地震被害のあった方の心情を考えると、このような火事場泥棒的行為を行う輩には心底軽蔑します。
東日本大震災時の外国人窃盗団の跋扈が噂されていましたが、現実を見ると心が痛みます。一方で、台湾のように国を挙げて義援金活動を行ってくれた国もある事を考えると国も様々です。

復興計画は住民の想いを汲んでいるのか?

立入制限区域内に人が戻れるようになる為の除染作業が続いています。
家屋の屋根等もそうですが、広大な農地の除染作業は土の入れ替えも含めて、気の遠くなる作業です。この作業は勿論、国が主導して多額の国費を投入して行なっています。今回ご案内頂いた方は、除染作業が終わったら、東京の人は本当に福島の米を買ってくれるのか?
と言われたことが深く記憶に残ります。風評被害が出ていることを考えれば、地元の方は、立ち入り制限地域でもう農業はできないと思っている。
と言われています。であれば、国が被害土地を通常の数倍の価格で買い取っていただき、移転補償をしてくれる方が諦めがつくと。

跡地に今後問題になる核廃棄物の最終処分場を作った方が国も助かるのではないか。
と言われた言葉に今回の原発事故の根深いものを感じました。
そして、我々首都圏の人間が忘れてはならないのは、福島原発は福島を始め東北の方が使う電力を作っていたのでは無いと言う事を。
東京電力が所有する首都圏の電力需要の為の施設であったことを決して忘れてはいけないと、今回の調査を通じて感じた次第です。

 

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