令和5年

令和4年度 決算特別委員会【港湾局】

会議日:令和5年10月4日
令和4年度の 決算特別委員会【港湾局】

山下正人

自由民主党の山下でございます。
御案内のとおり私は青葉区に住んでいるものですから港が見えず、海も見えず、港のことに関してはあまり知識もないものですから、今日は中野局長、ぜひいろいろ教えていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
あと、委員長、スライドの使用許可をよろしくお願いします。

山下正人

私が初めて議員に当選したときに先輩の議員に言われたのは、山下君、横浜の経済は港が3割を持っているのだということでよく言われたのです。この前職員の方とも話をすると、港は横浜の経済の3割を担っているということをよく言われるのですが、これは局長、いきなり通告外で申し訳ないのですが、横浜の経済が港の経済の3割というのは何か根拠があるのか、どういったものが背景で3割と言われているのか、もし分かれば教えていただけますか。

中野港湾局長

5年ごとに経済局の経済連関表を使いまして港の経済波及効果、これは市内に限っての波及効果を算出しているのですけれども、港湾の機能というのは、いわゆる物流の部分と、それからそれに加えていわゆる京浜工業地帯の工業の部分、それから先ほど来いろいろありました観光とか文化施設を全て合わせたものの経済効果が3割ということで、5年ごとに調査を委託しておりまして、その委託の資料は見られるようになってございます。

山下正人

ありがとうございます。今のお話ですと、私のイメージだと、港の物流を中心とした流通のところの部分で3割になっていると思っていたのですが、実質的には観光も含めて、みなとみらいに企業も誘致しておりますし、そういう意味ではこの辺で全体的に港の周辺で稼いでいるという話かと思うのです。

横浜市が戦後の日本の物流を支えてきたということは紛れもない事実だと思いますし、そのためにやはり我が国も港、この横浜を中心に経済発展をしていこうというふうに1950年に法律が制定されて公布されました。横浜国際港都建設法という昭和25年です。これはどういった目的でつくられた法律なのか、そして横浜市でどういった意義があるのか、局長、お願いします。

中野港湾局長

この法律は、大戦後の委員がおっしゃられた昭和25年、全国的に戦災の復興が急がれる中、国際港湾都市として十分に機能を発揮できるように横浜の復興を優先させるということで、貿易、海運及び外客、これは今で言うとインバウンドの誘致等の振興を図りまして、我が国の国際文化の向上と経済復興に寄与することを目的として議員立法によって住民投票を経て成立したものだそうでございます。国の援助や助成によりまして戦後の横浜の経済復興を強力に後押ししたものと考えておりまして、現在もこの法律の理念に基づきまして横浜港では、市内はもちろん日本経済の発展に寄与するため貿易、海運、インバウンドの誘致等を積極的に推進しているところでございます。

山下正人

今局長がおっしゃられたように、この法律があるから横浜はいわゆる港湾施設の整備も積極的に進めてきましたし、先般開通した、私もふだん使っております横浜北西線も国際港都建設法に基づくというのがたしか出ていたと思うのです。そういう意味では、横浜のインフラを含めて横浜の経済の発展、横浜の港の発展というものが戦後の日本というものの重要な役割があるというその思いの中でつくられた法律だと思うのですが、そこで、スライドを見ていただきたいと思います。(資料を表示)このスライドを見ていただくと、1950年に国際港都建設法というのが施行されています。その後、これは横浜だけではありません、日本全体の貿易推移額を出した資料なのですが、これは議会局の政策調査課が私のリクエストで二日で作ってくれました。議会局、ありがとうございます。

山下正人

1964年、私の生まれた年に東京オリンピックがあって、大阪万博1970年、この辺から高度経済成長がありまして、1980年代には日米貿易摩擦、懐かしいです。アメリカの上院議員がラジカセをみんなでハンマーでたたき割るみたいなそんなことをやっていましたけれども、日本が浮かれている時代があっという間に1990年に崩壊してバブルが崩壊しました。失われた20年と言われる中で東日本大震災もあり、しかしながら、1950年に約3000億円弱だった貿易額が2021年には83兆円を超えたと。こういった意味では、いわゆる先人たちが必死の思いで戦後の日本をつくっていったというのはこのグラフを見ると分かると思うのです。

山下正人

実はここの1950年は、局長、日本がまだ占領されている時代です。1945年からサンフランシスコ平和条約が公布される1952年までの間は日本は占領下でした、主権がありません。これも実は余談になって通告外で申し訳ないのですが、外国航路の船で商船というのは、どこの国のものかというのが分かるように国旗を揚げなければいけないとルールで決められていますが、実は1945年から1952年の間は日本は主権がなかったので、GHQは日の丸の掲揚というのは禁止していたのです。その間、どうやって商船というのは海外に行って日本の船籍だということを示したというのは、もし局長、知っていたら、御存じですか。

中野港湾局長

すみません、これは存じ上げません。

山下正人

すみません、私も知らなかったです。実はこの旗を揚げていたのです。

フィリピンの旗の反対みたいな感じの旗ですけれども、これがオキュパイドジャパンの国旗だったのです。7年間日本は日の丸ではなくて、この国旗しか使えなかったという。占領されるというのはこういうことだということです。実はこういったものを本当はやはり我々がこういう時代を経て、このグラフのように成長していって国づくりを先人たちがしてくれたという思いを持ってこれからの経済政策も港湾政策もやらなければいけないと思うのです。1950年というのは占領下ですから、日本からのこれは輸出ですけれども、輸出品はメイド・イン・ジャパンではなくて、これは御存じですか。メイド・イン・オキュパイド・ジャパンです。占領国日本製というのが書かれていたのです。そういう時代があって今があるということです。

山下正人

これは1950年がなかったので、財務省の貿易統計並びに日本国勢図会というところから、これも議会局が調査してくれて作ってくれたのですが、これは貿易の輸出の推計額です。1980年代、さっき言ったいわゆる日米貿易摩擦があって、たしかこの2年前に成田空港が開業しているので1978年だったと思います。それから横浜市の貿易推計額、金額は横ばいなのです。一方、ブルーの成田空港のいわゆる航空貨物というのが右肩上がりでぐっと増えているという。先ほどのグラフは明らかにずっと右肩上がりで国全体として増えていたのですが、1980年を起点に横浜港の売上げというのは実は横ばいだという。これは明らかに海から空に航空の貨物の需要というものは、金額のかさばるものというものが推移しているのではないかと私は感じるのですが、局長、これを見ていかが思われるでしょうか。

中野港湾局長

航空機による貿易輸出でございますけれども、航空機の輸送に適する貨物は高価で重要性が高くて、少量のあまり大きく重くない、急ぎのものと言われております。釈迦に説法になって申し訳ありません。温度、湿度、それから揺れ、衝撃等の管理が必要な半導体とか、それから精密機械等、そして緊急を要する医薬品とか医療機器、それから鮮度が特に重要な魚介、果物などの輸送が多くなっているということです。一方、基幹産業であります自動車や産業機械の輸出、そして私たちの衣食住を支える生活必需品である製造食品、肉、野菜、衣類、それから住宅用の木材、こうした消費財の輸入は一度に大量に運ぶ必要がありますので、これは今でも海上輸送ということになっております。

中野港湾局長

現状では重量で99.5%が海上貨物、そして0.5%が航空貨物の割合でございます。これの変化している認識ということでございますけれども、航空貨物の輸出が増加しまして海上貨物の輸出が伸び悩んでいるという要因につきましては、製造拠点の海外の移転によりまして海上輸送による工業製品が減少いたしまして、航空輸送による高価な半導体、それから精密機械、最近ではPCとかスマートフォンの取扱いが増加したのではないかと認識しております。

山下正人

局長がおっしゃるとおりだと思うのです。結局、このグラフにあるような1970年代に我が国が強かったというのは、軽工業も含めて、いわゆる加工貿易で栄えた国家とすると、原料を輸入して商品をつくって送るという形で日本の経済は大きくなってきたのです。今も横浜市の輸出のトップを占めるのは車です。2位が車関連の部品で、輸入のトップはやはり石油であったり、LNGであったり、石油、エネルギー関連になっています。そうすると、これは今まさしく局長が言われたみたいに横ばいの理由というのが、やはり産業構造が大きく変化してきて、いわゆる繊維を含めた家具だとかいわゆる軽工業品というものは、中国を中心にする東南アジアに移転して、日本からは実はそういったもののニーズが少なくなった。今おっしゃられたように船で送るものというのは飛行機と比べて船賃が安いから、かさばるものであったりとか、単価の安いものはどうしても船に頼らざるを得ない。そういう中で、産業構造がこれだけ変化してきたということをやはり念頭に置いた上で港の経営ということを考えていかないと横浜港が時代に合わせて変化しなければ取り残されるのではないかと思うのですが、局長、いかがお考えでしょうか。

中野港湾局長

まさに委員のおっしゃるとおりだと考えております。生産拠点の海外の移転に伴いまして輸出貨物が伸び悩む一方で、生活必需品などの消費財の輸入が増加をしておりまして、横浜港は昔は輸出の港と言われておりましたが、現在では輸入がそれを上回っております。コンテナ貨物の伸びは30年間で輸出が1割に対しまして輸入は2倍になっております。こうしたことから、御質問なのですけれども、求められる横浜港の機能は一つは輸入貨物への増加への対応でございます。それからもう一つは、物流の効率化に伴って船舶の大型化、それから寄港地の絞り込みといった世界の海運動向がございまして、これに乗っていかないと船が横浜港に物理的に寄れなくなくなってしまいますので、こういった世界の海運動向への対応の2つが必要だと認識しております。

中野港湾局長

そうした中で港の今後の機能の変化については、輸入貨物は温度管理とか流通加工、配送機能を持ったロジスティクス拠点が必要でありまして、これは現在、南本牧、本牧、新本牧ふ頭に拠点の形成、あるいはそれに向けた埋立造成を進めております。また、大水深コンテナターミナルの整備を推進しまして、世界の大手船会社に引き続き横浜港を拠点として使っていただけるように機能強化を進めているところでございます。

山下正人

局長がおっしゃられたその分析というのも私も何となく感じていたところなのですけれども、ダーウィンが強いものではなく変化に対応できるものが生き残るということを言ったのですけれども、これは何も生物だけではなくてやはり経済もそうだと思うのです。しなやかに変化に対応していくということで、やはり経済戦争の中を日本はどうやって生き抜いていく、横浜港はどうやって生き抜いていくかということを考えていかなければいけないです。今局長が言われた日本の今の主力は何といってもまだ自動車です。それも、今は自動車がメインになっていますが、これからEVの時代になってくる。EVの時代になってきたときに、自動車は今までは部品点数も多いので下請も多いというので非常に産業としての核になっているのですが、EVになってくるとだんだん電気機器化していく、電気製品になっていく。白物家電がどんどん中国とか台湾とかに移っていったみたいに、自動車もいずれはこの可能性も出てくるのではないかというのを考えなければいけない。

山下正人

それと、先ほど他の委員の方も質問されていましたけれども、EVの中国の最大手のBYDがいよいよ進出してきました。PDIセンターを整備する。BYDの輸入の拠点を設置する意味というのは、局長、どう考えていらっしゃるのでしょうか。

中野港湾局長

BYDの輸入拠点につきましては、物流事業者に貸し付けた用地に事業者が自ら整備したものでございますが、自動車の輸出拠点として機能強化を進めてきた大黒ふ頭が世界的な脱炭素化の流れによりまして電気自動車にシフトが加速している中で、世界の販売台数が第1位のBYD、それから2位のテスラが日本唯一の輸入拠点として大黒ふ頭を選んでいただいたということは、今後の貨物取扱いの増加に向けて大変意義深いことではないかと考えております。引き続き大黒ふ頭におきましては、輸出輸入双方の機能強化を進めまして、取扱貨物の増加を図っていきたいと思っております。

山下正人

今日本の中でEVを一番頑張っているのは日産ではないですか。横浜は日産を企業誘致して補助金を出して、一方でBYDを応援するというのは何となく釈然としないものが個人的にはあるのですが、ただ、これは三菱倉庫、BYDと一緒に、たしか三菱倉庫さんです。三菱倉庫さんにしてみたら、やはり商品が変わってきたからそれに合わせて自分たちが扱うものを変えていかなければ生き残れないという、まさしくそれの選択肢だと思うのです。なので大黒ふ頭においても、輸出をメインとしていた大黒ふ頭が実はもうこれからは輸入に変わっていくのではないかという私は危惧を実は持っています。

山下正人

そうすると、先ほどおっしゃられた輸入港としての役割がこれからの横浜市がどんどん大事になってくると。私は数年前、常任委員会の委員長をさせていただいたときに、新保室長とも一緒に深センに行きました。深センに行ったときに、巨大なターミナルと背後にある物流施設と一体化した施設を見たときに、これは勝てないなというふうに思ったのですが、私は今の局長の話を聞いていて、新本牧は深センに追いつこうと思って造っているような気がしてならないのですが、さっき言ったように新本牧の供用開始はまだ10年以上かかります。そのときに時代が大きく変わったときに、新本牧ふ頭というのは、今後の横浜市の役割の中で現状どういったものが必要だと。現状とそれと将来の展望を少し考えていかないと、整備はしたがいいけれども、荷物が来なくてすっからかんですというのが一番最悪なことなので、10年後、20年後ということを考えていくと、新本牧はひょっとしたら別の役割というものを視野に入れていく必要があるのではないかと思うのですが、局長、いかがでしょうか。

中野港湾局長

よく国のほうで整備を進めなければいけないというときに、世界のランキングとかをかなり出して、それがもう順位がどんどん落ちているので、それに追いつくために整備をしなければいけないのだみたいな議論がされるのですけれども、実は単に順位を勝負しているわけではなくて、この港というのは、先ほど来話をさせていただいたとおり99.5%は海上から荷物が入ってきているわけです。そうした上で横浜市にとってはその3割が何らかの形で経済活動に波及しているということでございますから、非常に重要な地場産業でもあるわけです。そうしたことで、深センに追いつかないからやらないということではなくて、ある意味経済安全保障といいますか、国民あるいは市民が生活していくために必需品などをきちんと海外からも引き続き受け入れていくということが必要なのだろうと思います。

中野港湾局長

そうした意味で新本牧ふ頭につきましては、先ほど言いました輸入貨物の増加に対応するために、やはりまだまだロジスティクス拠点が必要だと、食料品だとかが入ってきますから、温度管理だとか配送とかをしなければいけないです。そういった場所が横浜港には全然不足しているのです。そういった意味で、第1期地区としてうちのほうでロジスティクス拠点、市のほうで造っているわけです。さらに、先ほども申し上げましたとおり船が大型化をしておりまして、これを受け入れなければ、日本を通過して中国だとか韓国だとかから入ってくるようになってしまうということもあって、それがちゃんと着けられるように大水深のコンテナターミナルを整備するということで進めております。経済安全保障という意味で必要だというふうに考えております。

山下正人

冒頭お話ししたように、やはり横浜というところが日本の中の港のトップリーダーなわけです。そういう中で横浜港が没落するということは逆に言うと日本の没落ですので、今局長がおっしゃられたように経済安全保障上の理由で非常に重要なことだろうとは思います。ただ、私が言いたかったのは、その先の部分というのもどこか頭の片隅に視野に入れて港湾経営というものを考えていかないと、世界が大きく変化したときに横浜市が、大型タンカーが急転回できないように、やはりここはかじが切り取れない。だから、その準備というのは必要ではないかと思っています。

山下正人

それと、先ほど港の経済の3割の中には観光も入っている。産業が一次産業から二次産業、そして三次産業、特に観光、インバウンドというものが非常にこれから重要性が出てくるとなると。横浜港は観光としてのコンテンツ、ポテンシャルは非常に高いものがあるのではないかと私は思っているのですが、局長は観光施設として横浜港をどのように評価されているでしょうか。

中野港湾局長

横浜港は、何はさておき日本で最初に開港した地でありまして、近代化に向けた世界の窓口となったこの歴史を有するということが一つ大きなポイントだと思います。それから2つ目としましては、港とまちが非常に近くて、日本を代表するウオーターフロント開発、みなとみらい21地区は景観に優れ、博物館、文化施設、世界最先端の技術を有する企業博物館やショールーム、それから最近Kアリーナができましたけれども、大小様々な音楽ホールが集積されているというその2つ目です。3つ目としましては、7隻同時着岸可能な世界有数のクルーズポートでありまして、観光地として高いポテンシャルを持っていると認識しております。

山下正人

先週末ですけれども、臨港パークに用事があって、夕方、臨港パークに行ったのですが、駐車場がいっぱいで入れなかったので、仕方ないのでハンマーヘッドのところに停めて、水際線をずっと歩いて行ったのですけれども、にぎわっています。コロナ前までとはいかないのですが、土曜日の夕方だったのですけれども、外国人の方も非常に多かったですし、それで他府県ナンバーといいますか湘南ナンバーとか千葉のナンバーの車も結構多かったので、やはり戻ってきたというふうには思っています。これから横浜の美しい港で、やはり稼ぐ港として使っていかなければいけないと思うのですが、コロナ禍においても継続的に港湾の観光施設の整備というのは進んできたと思うのですが、コロナ禍においてどういった整備が進んできたのかをお教え願いたいのですが。

中野港湾局長

クルーズが止まっておりましたものですから、これの再開に向けて、コロナ禍にあってもこれは一つのチャンスというふうに捉えまして、都心臨海部において観光施設の整備に取り組んでまいりました。一つは横浜みなと博物館、インバウンド向けに体験型コンテンツを充実や外国語対応を行い、これは昨年リニューアルをいたしました。また、スカイウォークはクルーズ船の見学や横浜港の広報施設としまして、また、赤レンガ倉庫は商業施設と連携をして、これも昨年リニューアルをいたしております。そして新港ふ頭ではハンマーヘッドパーク、観光船の桟橋、ビジターバース等の整備を行い、グランピング施設がオープンをいたしました。これらの施設を回遊性の向上を図るということで女神橋を供用させるとともに、現在、新港歩行者デッキ、新港の客船ターミナルとサークルウオークを結ぶデッキなのですけれども、これの整備を進めておりまして、今年度中の供用を目指しております。加えて、先ほど来話がありました臨港パークの先端部も令和6年度の供用を目指しております。

山下正人

コロナ禍においてもいろいろ整備を進めてきた中で、私も実はグランピング施設はいつできたのだと思って、ハンマーヘッドのところから、インターコンチから歩いて女神橋を渡る手前のところに、あれ、何だこれはと思ったのですけれども、できていたのです。結構にぎわっていて。やはり横浜は絵になります、局長。私は個人的には大さん橋から見るみなとみらいの夕焼けが結構きれいだと、局長はどういった風景が好きかは分からないのですけれども。観光施設として稼ぐ港というものをもう少し視野に入れて政策を打ち出していかないと、先ほど見ていただいた物流の輸出に関しては横ばいになっているということを考えていくと、この差額を埋めていくというのは、やはりこういった分野のものが埋めていかないと、さっき言った港の経済が3割が2割になったり、1割になったりしたら困ってしまうわけではないですか。そう思うと、稼ぐ港としての局長の所感をお伺いしたいと思うのですが。

中野港湾局長

生産拠点の海外の移転に伴いまして、こちらのグラフによりますとおり輸出が伸び悩んでおります。一方では世界有数の大消費地として輸入の増加がありまして、これは横浜だけではなくて実は日本全体の傾向でありまして、日本の令和4年度の貿易赤字は過去最大を記録しております。就労人口の減少が続いておりまして、この傾向はさらに進むと見込まれております。

中野港湾局長

そんな中、コロナ禍前の令和元年のインバウンドによる旅行消費額、インバウンドの買物は輸出と同じ効果があるわけなのですが、これが我が国の基幹産業でありました半導体、それから自動車部品の輸出額を上回りました。まさに委員が言われるとおり、今や観光立国としてこの差を埋めるためのインバウンドの受入れは日本経済にとって不可欠だと考えております。観光による市内経済の活性化のためにも、アジアのクルーズ発着拠点としましてクルーズ船の受入れを積極的に行いながら、また、DMOができましたので、DMOを中心に都心臨海部のにぎわい創出を図って、引き続き稼ぐ港湾経営を実践していきたいと思います。

山下正人

ぜひ時代のこういった流れの中を取り残されることなく、本当にいいポテンシャルがあると思っています。私は海のないところで育った人間ですから、やはり憧れなのです。港町の横浜のこの風景が憧れで、水際線を歩きながら、本当にいいまちで市会議員をさせていただいているというふうに私は感慨深く歩いていたのですけれども。  ブルーカーボンはさっき山田委員がやったのですっ飛ばしまして、次に山下ふ頭の再開発計画についてお伺いしたいと思うのですが、観光においてのキラーコンテンツ、我々は今まではIRを何とかキラーコンテンツでやりたいというふうに、山下ふ頭でIRというのを私は言ったのですが、市長がIRを反対をされて、それを市民の皆様が選ばれたということで、IRというのはもうこの議論の中ではなくなったわけですが、

山下正人

市長は選挙の中でIRの反対はかなり強力に言っていたのですけれども、山下ふ頭についてもかなり積極的にやるような話を私は言われていたように記憶しているのですが、ただ、2年たっても市長が何をしたいのかというのが全然見えてこないのです。市長は一体、IR反対はそれをずっと言っていたので分かっていたのだけれども、では、山下ふ頭はどうするのかというのが全く我々にも市民にも伝わってこないし、どうするのとよく言われたりするのですが、市長から山下ふ頭再開発についてどういった御指示が来ているのでしょうか。

中野港湾局長

市長からは、これは先ほど来の議論にもありましたとおり、市民の皆様に御理解、御納得をいただける再開発とすることが重要で、適宜適切な情報発信を行いまして市民の皆さんの御意見を伺いながら進めること、そして横浜経済を牽引し、横浜ブランドを高めることができる、都市ブランドを高めることができるまちづくりとすることというような指示を受けております。

山下正人

市民の声を聞くというのは、我々は主権者である市民、公僕という意味では当然のことだと思うのですが、市民からの提案というのは当然いろいろな意見があります。そうすると、意見は百花繚乱状態という中で集約していかなければいけない。やはり議論をリードしていくというのは誰かがやっていかなければいけないわけではないですか。山下ふ頭の再開発計画は誰が今後この議論を主体的にリードしていくことになるのでしょうか。

中野港湾局長

検討委員会学識者会合が始まりましたけれども、こちらの検討委員会での議論は委員長がリードしていきますけれども、答申をいただいた後に市民の皆様の御意見をいただきながら新たな事業計画を取りまとめる必要がありまして、これをまとめるのは本市でございます。また、再開発は民設民営を基本に考えておりまして、開発事業者を募集、決定し、事業実現に向けて開発事業者と調整していくのも市の役割だと思います。したがいまして、御質問でありますけれども、再開発計画をリードしていくのは本市であると考えております。

山下正人

再開発計画を最後の最終責任を持つのは当然本市、横浜市です。これは当然当たり前だと思います。それと、この検討委員会も最終的に任命するのは、これは市長でよろしいのですか。

中野港湾局長

諮問しているのは市長でございます。

山下正人

そうです。横浜市が行政の役割として検討委員会をしっかりつくって、それで議論をしていくということになると思うのです。検討委員会に関して、7月に私は新聞報道で知ったのですけれども、検討委員会のメンバーに横浜市が事業提案者を入れるということを新聞報道で読みました。これはそもそも事実なのでしょうか、局長。

中野港湾局長

まだ8月の学識者会合のところで、地元の関係者の方をこういう団体を入れたいというお話をさせていただいていろいろ御意見をいただいたところでございますので、まだそれは決めている話ではありませんので、事実ではございません。

山下正人

横浜市が過去に同じような審議会だとか検討委員会をつくって在り方を決めていくというのは、港湾局に限らず他局様々なところであるではないですか。事業提案者がこういった検討委員会に、利益提供者といいますか利害関係者が入るということは過去にあったのですか、局長。

中野港湾局長

実はそこら辺が大変誤解を生んでいるのではないかと思いますけれども、令和3年、令和4年に行いました事業者提案募集でございますが、これは開発事業者を選定するために事業の提案を募集したものではなくて、事業の可能性を探るいわゆるサウンディング調査でございます。そこに地域の関係者が参加することは不自然ではなくて、実際、先ほど申し上げました学識者会合で提案をいたしました地域関係団体6団体のうち5団体の構成員の方が事業者提案に関係をしております。今回の検討委員会は、開発事業者を審査、決定するものではなくて、まちづくりの方向性とか導入する機能などを議論していただく、検討する場所でございます。こうした委員会に地域の団体が参加した事例は、先ほど委員もおっしゃいましたとおり、本市の例えば区民文化センターの基本構想検討委員会とか市有地の活用検討会などがございます。今回のようにまちづくりの方向性、導入する機能の検討委員会を開催する前にサウンディング調査をした事例は把握していないというところでございます。

山下正人

局長、どう見たってそれは詭弁です。今の話でいくと、市民文化センターを運営する人間が在り方検討委員会に入るという話ではないではないですか。これはやはりどうしても、先ほど言ったように事実誤認だと、あの記事はあくまでも--今日神奈川新聞はそこに座っています。明らかに事実誤認だったら、我々市民からすると、報道を見たときに横浜市は何をやっているのだ、おかしいのではないかと思ってしまうわけです。これは明確に神奈川新聞に対して記事の訂正並びに謝罪等はされたのでしょうか。

中野港湾局長

しておりません。

山下正人

何も言わないということは認めたということになりますので、これはきちんと記事の訂正並びに謝罪の請求をすべきだと思いますが、いかがでしょうか。

中野港湾局長

こういった事実がないことを訂正を求めても、根拠がないということで、今までも結構あったのですけれども、これはなかなか対応していただけないということがございますので、ここは特にそういう対応はしておりません。

山下正人

そもそもこれは、何で火のないところにこんな煙が上がってきたわけですか。これは市長がそういうようなことを言ったのですか、それとも市長に対して皆さん方が忖度したからこんな話が出てきたのですか、どちらなのですか。

◎中野港湾局長 私も記事を見てびっくりしました。いろいろな先生方に御説明に伺ったり、いろいろしたこともございますが、私も知りませんでした、想像もついておりません。

山下正人

名前が出た方は、私は迷惑だと思います。こんなありもしないことに名前が出されてしまって。私もその方はよく存じ上げていますけれども、さっき見ていただいたまさに高度経済成長の横浜市でずっと支えてきた大功労者ではないですか。そうでしょう。横浜の港を支えてきた大功労者の方ではないですか。そういった方々がこんなありもしないことに名前が出されてしまって、私が逆の立場だったら極めて迷惑だと怒ってしまいます。それは横浜のいわゆる都市ブランドにとっても、横浜市はさっき言った、外から来た我々からすると横浜港は物すごくいいイメージなのです、ロケーションがよくて美しくて。こういった横浜の都市ブランドを毀損すると思うのですが、これは局長、不透明なこの状況を早急に打開しなければいけないと思うのですが、見解をお伺いします。

中野港湾局長

まさにそのとおりだと思います。今後、8月に開催した委員会で、今地元の皆さんの参加についていろいろ御議論いただいて意見もいただいておりますので、これを踏まえて検討していきたいと思います。

山下正人

こういった不透明なところをきちんとクリアにしないと、せっかくの山下ふ頭にいいものができても禍根を残すと思いますので、それだけは御意見を申し上げて、終わります。

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